みんなで耕し海藻を育む
大槌町藻場再生協議会
2019年度から開始した2年間の磯焼け調査事業の結果をもとに、2021年4月に発足。漁業者や漁協、行政、地域住民らで構成し、町内外のダイバー有志が海中調査やウニの移植などに取り組むほか、海の環境についての地元小中学生向けの授業なども行っている。2023年度水産庁「海業振興モデル地区」にも選定されている。
みんなで耕し海藻を育む
大槌町藻場再生協議会
2019年度から開始した2年間の磯焼け調査事業の結果をもとに、2021年4月に発足。漁業者や漁協、行政、地域住民らで構成し、町内外のダイバー有志が海中調査やウニの移植などに取り組むほか、海の環境についての地元小中学生向けの授業なども行っている。2023年度水産庁「海業振興モデル地区」にも選定されている。
豊かな海の恵みを糧とし生きてきた三陸。もちろん大槌町も例外ではありません。そんな三陸の海が「磯焼け」という大きな危機に瀕しています。もう一度、豊かな海を取り戻すため立ち上がったのが「大槌町藻場再生協議会」です。東日本大震災後、海中のがれき撤去を通じて生まれた人と人とのつながりを活かし、ピンチをチャンスに変えようと挑戦を始めています。
再生活動を重ね、
海藻がよみがえる
キラキラと反射し美しく光る三陸の海。ダイバーを乗せた漁船が港を出港し、大槌町北部の吉里吉里海岸沖の小さな島の近くでエンジンを止めました。船を操作するのは、「大槌町藻場再生協議会」の会長、芳賀光さん。活動エリアまでダイバーを運び、時には自身もダイバーとして活動に参加して現場を指揮するリーダーです。船上から降り海中に潜るのは藻場再生協議会のメンバーたち。船を操作する漁師も海中に潜るダイバーも、大槌の豊かな海を取り戻すために共に活動する一員です。
経験回数が様々なダイバーたちの安全を管理するのは、NPO法人「三陸ボランティアダイバーズ」代表の佐藤寛志さん。身長180cmでがっしりとした体格から「クマさん」の愛称で親しまれている佐藤さんは、世界中の海で潜ってきたベテランダイバーです。
ウニの個体数を調査する道具を手に潜っていった4人は30分ほどで戻ってくると、「森がいい感じに育ってるね!」「アカモク(海藻の一種)は思った以上に増えてますね」……。前回の調査時に比べて、コンブやなどの海藻が増えてきていることを実感する声が船上にあふれました。
藻場再生協議会が潜るのはレジャーが主な目的ではありません。海水温上昇などの環境変化により増えすぎたウニが海藻類を食べ尽くす磯焼けを食い止め、“森”である藻場を回復させるための活動なのです。
▽適正な個数管理のためのウニの駆除や移植
▽胞子を内包した母藻や種苗の設置
▽藻場の保全状況のモニタリング
ーーといった活動を2019年から始め、毎年30回近く繰り返すうち、磯焼けが進み白い岩肌が目立っていたエリアでコンブが生い茂るようになり、藻場がよみがえったことで小さな魚やアワビの稚貝、実入りの良いウニが増えるといった変化が見られるようになりました。
海中のがれき撤去に尽力
漁師からの信頼厚い“クマさん”
この藻場再生協議会の活動を支えてきたのが、ダイビングのプロフェッショナルであり三陸の海の環境をよく知るクマさんです。元来、三陸はウニ漁やアワビ漁が盛んで、密漁防止の観点から漁師たちはダイビングを快く思っていなかったと言います。そんな地域でクマさんが漁師の絶大な信頼を得ているのは、東日本大震災直後から継続して三陸の海や浜のために活動してきたからです。
花巻市出身のクマさんは、若いころから世界中の海で潜り、震災時はタイで暮らしながらインストラクターとして世界中の観光客に海やダイビングの魅力を伝えていました。自身がダイバーになるきっかけである三陸の惨状を知り、すぐに帰国。支援物資を担いで三陸各地の漁港に足を運び、そこで作業する人たちに「何か手伝うことはありませんか」と声をかけて回りました。
震災から間もない三陸の浜は、津波で流された建物のがれきで埋め尽くされ、行方不明者の捜索も続いていました。養殖施設や定置網の復旧の目途も立たない状況で、各地から「海中のがれき撤去に力を貸してほしい」と頼まれ、潜るように。住宅の屋根や小屋など湾内に沈んだがれきにロープを回し、大勢の漁師たちとともに引き上げるボランティアを始めました。
そして2011年10月には「三陸ボランティアダイバーズ」として法人化。クマさんの声掛けに呼応して世界中から集まったダイバーは9000人以上に上ります。
潜り続けるうち、クマさんは海の変化を感じるようになりました。「海の中が白い……」。三陸の海でも磯焼けが進行していたのです。今でこそ、日本全国で深刻な問題として認識されている磯焼けですが、当時は西日本など海水温が高い地域の問題と考えられていました。
ダイバーを乗せた船を操縦していた漁師の芳賀光さんも当初は半信半疑だったと振り返ります。漁師の仕事だけでなく、サーフィンや釣りでも親しんできた海。ライセンスを取得し潜ってみると、海藻は少なく、海の中は真っ白な岩肌ばかり。船の上からでは見ることができなかった岩礁の裏側を初めて見たとき、一面に広がるウニの大群と真っ白な岩肌を見て、事態の深刻さを強く感じました。「海は漁師のものではないし、磯焼けは漁師だけにかかわる問題ではない」。子どもたちやその次の世代に、自分たちが親しんだ豊かな海を残していくために藻場再生の活動に加わりました。「海を生活の糧にしている漁師が本気にならなくては」と大槌町藻場再生協議会の会長の役職も引き受けました。
「観光でも水産でもない」
だからこそできること
町産業振興課の担当者・芳賀諒太さんは、自分が子どものころとはすっかり変わってしまった大槌の海の環境に心を痛め、担当になる以前から一町民として活動に参加してきました。現在は、活動によって海の森がよみがえり始めていることに手応えを感じています。
活動には、漁師やかつての海を知る地域住民、移住者、取り組みに賛同した全国、そして世界のダイバーが参加し、芳賀さんは「観光業でも水産業でもない取り組みだからこそ色々な切り口でかかわってもらえることに可能性を感じている」と言います。
通常のダイビングは、保護の観点から魚やサンゴ礁などの生き物に触らないことがルールですが、藻場再生は人間の力で海を耕す活動。「自分で海を耕して、そこに海藻が生い茂り、魚が集まり、ウニが育つ。海の変化を肌で感じ、味わえるのは世界でも大槌だけ」とクマさんは太鼓判を押します。海の中の海藻の森は季節によってまったく違う表情を見せるため、海中の景色を楽しみながら遠方から何度も参加するダイバーもいて、参加型の海の森づくりが進んでいます。
磯焼けという危機を逆手に取り、自分たちの手で海を耕し始めた大槌町藻場再生協議会。この挑戦がさざ波となって、100年後、さらに1000年後の三陸の海に大きな変化をもたらすかもしれません。
(2023年4月取材)