ココカラオオツチ

神楽があるから
私はここで生きていく

太田未彩希さん

おおた・みさき

大槌町出身。物心つくまえから金澤神楽を習い始め、現在は舞い手、お囃子の両方を担うほか、「金澤神楽保存会」として若手の育成、祭りやイベント出演の段取りなどもこなす。夫と長男・次男と4人暮らしで、町内のこども園で働いている。
金澤神楽保存会:
https://www.facebook.com/ka
nezawakagura

https://twitter.com/kanezawa
kagura

太田未彩希さん
太田未彩希さん
神楽があるから
私はここで生きていく

太田未彩希さん

おおた・みさき

大槌町出身。物心つくまえから金澤神楽を習い始め、現在は舞い手、お囃子の両方を担うほか、「金澤神楽保存会」として若手の育成、祭りやイベント出演の段取りなどもこなす。夫と長男・次男と4人暮らしで、町内のこども園で働いている。
金澤神楽保存会:
https://www.facebook.com/ka
nezawakagura

https://twitter.com/kanezawa
kagura

三陸の秋の風物詩と言えば、それぞれの地域の個性豊かな祭りです。2022年秋、大槌町でも3年ぶりの大槌まつりに大勢の人たちが詰めかけました。勇壮な御神輿や威勢のよい郷土芸能が織りなす行列の中で目を引くのが、女性の舞い手たちによる金澤神楽。舞い手のリーダーであり、指導役も務める太田未彩希さんは「みんなが魂を燃やして伝統を引き継いでつないできたのが祭りや郷土芸能。やっぱり祭りはこの町になくてはならないもの」とコロナ禍を機に祭りへの思いを新たにしています。

太田未彩希さん
「神楽は自分の中にある」<br />
祖父から習った先祖代々の踊り

「神楽は自分の中にある」
祖父から習った先祖代々の踊り

例年、9月の中旬に執り行われている大槌まつりは、大槌稲荷神社と小鎚神社による合同の例大祭。3日間掛けて、神楽や虎舞、鹿踊などの郷土芸能が奉納され、神輿行列が町内を練り歩きます。

太鼓や笛の囃子に合わせて激しく跳ね回る虎舞や、力強く鹿頭を振って勇壮に踊る鹿子踊……男性が前面に出る芸能が多い大槌にあって、女性たちによる金澤神楽は一度観たら忘れることのできない印象的な舞い。烏帽子をかぶり、扇子や鈴を掲げて舞うさまは、躍動感がありながら、品があり優美です。

20代のころから、この金澤神楽保存会を引っ張ってきた太田さん。神楽を始めたのは、まだ物心つかない2歳か3歳のころと言います。今では「当たり前に自分の中にあるもの」という神楽を教えてくれたのは、祖父の佐々木佐多志さんでした。

「とりっこまい」と呼ばれ町民に親しまれている金澤神楽は、江戸時代後期に町山間部の金澤集落に伝わり、五穀豊穣や大漁を祈願して三陸の家々の座敷で舞われてきました。金澤地区の八幡神社に仕える芸能として始まり、代々、長男に継承されてきた金澤神楽でしたが、昭和50年代、体調を崩した佐多志さんは神楽が途絶えてしまうことを危ぶみ、妻のトワさんに踊りを教えました。これを機に女性に門戸が開かれ、トワさんは地区の女性たちとともに大槌まつりに参加するように。孫の太田さんが習うのも自然な流れでした。

神楽と祭りが大好きな少女時代を過ごし、町内の沿岸部に引っ越してからも、金澤地区に通い、稽古を続けた太田さん。10代のころには、人生に絶望しそうなほどの苦難や挫折を経験しましたが、そんな時「心を救ってくれたのが神楽だった」と振り返ります。

自身を救った神楽 <br />
「被災した人たちの癒しに」
自身を救った神楽 <br />
「被災した人たちの癒しに」

自身を救った神楽 
「被災した人たちの癒しに」

自身の救いだった神楽が、他の人の救いとなり心の支えにもなれるのだということを実感したのは、東日本大震災直後のことでした。震災から2ヶ月後、金澤地区の避難所を慰問することになったのです。

神楽を舞う太田さんたちに手を合わせ涙を流す人、手をたたいて喜ぶ人……1人1人の表情が太田さんの脳裏に刻み付けられました。「神楽で誰かの心を癒すことができるかもしれない。私にできることは神楽しかない」。舞うことの意味が確かなものになっていきました。

一方で、金澤小学校が廃校になったことなどにより、神楽の担い手は年々減少、震災の直前には、舞い手は4人にまで減少していました。太田さん自身も結婚、出産を経験し、家事や育児に日々追われる毎日を送っていましたが、避難所での慰問をきっかけに、神楽を継承していくことへの思いも増していったと言います。

復興支援団体からの提案で町内外の人たちに踊りを教えたり、練習日程や出演するイベントの情報をSNSで発信したり……新しい取り組みを始めると「やってみたい」「孫に教えてほしい」といった声が集まり始め、5年ほどのあいだに舞い手は15人ほどに増えていました。

太田さんの中に当たり前のように息づいていた神楽が、報道やSNSを通じて大槌町外、さらには国内外の人たちに伝わり、たくさんの人の心を魅了しました。「私たちの金澤神楽は当たり前なんかじゃなかったんだ」。神楽の価値を再認識するとともに、震災後につながった人たちへの感謝の気持ちが、太田さんの支えになっていったのです。

当初、まだ若い太田さんの挑戦を心配しながら見ていた佐多志さんでしたが、2019年の金澤地区のお祭りで子どもたちと一緒に舞った時には「上手になった。ここまでよくやった」と太田さんが指導した子どもたちの踊りに目を細めていました。師匠であり祖父である佐多志さんに「認めてもらいたい」という思いで舞い手を育ててきた太田さんにとって、それまでの努力が報われた瞬間でした。

生きる人も死者も集い踊る、<br />
それが祭り
生きる人も死者も集い踊る、<br />
それが祭り

生きる人も死者も集い踊る、
それが祭り

そして、コロナ禍による2回の中止を経て、2022年秋、3年ぶりの祭り開催が決定。金澤神楽には、新たに小学生3人と地域おこし協力隊の移住者が舞い手として加わりました。さらに太田さんにとってうれしかったのは、岩手県内陸部に進学した高校生が「どうしても祭りで踊りたい」と駆けつけてくれたことでした。

10年近く練習を続け、美しく舞う高校生。その姿を見て「おねえちゃんたちみたいに上手に踊りたい」と悔し涙を見せる小学生。お囃子や運営を支える大人の中には、3年ぶりに東京などから駆けつけた人たちの姿もありました。「神楽の仲間は、みんなきょうだいのような存在」だという太田さん。「祭りは、その年に参加する人だけでなく、震災や病気で亡くなった人たちも含めて、これまで関わってくれた人たちみんながその場に集まってきているように感じます」。

3年ぶりの祭りは、前年に亡くなった佐多志さんの存在を感じる時間でもありました。亡くなった直後は、喪失感にさいなまれましたが、「祭りではおじいちゃんが近くで見守ってくれているのを感じながら踊ることができました」。

ひさしぶりに祭りの熱気の中に身を置き、町全体が盛り上がる一体感を全身で感じた太田さん。「神楽があるから、祭りがあるから、私はこのまちにいる」。東日本大震災、コロナ禍を経て、町の姿や祭りのあり方は変わっても、その気持ちが揺らぐことはありません。

地上に光をもたらす長鳴鶏を表す金澤神楽は、これからも大槌に光を届け続けます。(2022年9月取材)

おおつち暮らしのリアルを配信中!
Instagram Twitter Facebook