ココカラオオツチ

地域・保護者・町とともに、
子どもたちのやりたいを実現

認定NPO法人 カタリバ

2001年に活動開始、06年に法人化。大槌町では、小学3年~高校3年までを対象とした「大槌臨学舎」の運営、県立大槌高校の高校魅力化事業のコーディネートや「はま留学」の運営などに取り組んでいる。地元住民と移住者含め9名の職員が在籍。
URL: https://www.katariba.or.jp/

認定NPO法人 カタリバ
認定NPO法人 カタリバ
地域・保護者・町とともに、
子どもたちのやりたいを実現

認定NPO法人 カタリバ

2001年に活動開始、06年に法人化。大槌町では、小学3年~高校3年までを対象とした「大槌臨学舎」の運営、県立大槌高校の高校魅力化事業のコーディネートや「はま留学」の運営などに取り組んでいる。地元住民と移住者含め9名の職員が在籍。
URL: https://www.katariba.or.jp/

東日本大震災によって、過ごす場所を失った大槌の子どもたち。学びを通じて彼らの居場所づくりに取り組んできたのが認定NPO法人「カタリバ」です。2011年に放課後学校「コラボスクール大槌臨学舎」の創設に奔走し、その後2013年に大槌に移住し子どもたちを支え続ける菅野祐太さんは「子どもたち、保護者、地域住民、みんなの思いがあって初めてカタリバの役割が生まれる」と語ります。

認定NPO法人 カタリバ
すべての子が未来への<br />
意欲を持てる社会を目指して

すべての子が未来への
意欲を持てる社会を目指して

カタリバは、どんな環境で育った子でも未来への意欲を持てる社会を目指して、2001年に東京都内で活動を開始した教育NPO。東日本大震災直後から、放課後に過ごす場所や学習の機会を失った被災地の子どもたちの支援にむけて動き出しました。

宮城県女川町では町教育委員会(教委)と連携してコラボ・スクールを開設。避難所や仮設住宅で生活する子どもたちの居場所の必要性を実感していたカタリバ代表・今村久美さんらは、他地域でも取り組みが必要と考え、岩手県内沿岸部の中でも被害の大きかった大槌町での活動を検討し始めました。

一方、菅野さんは震災当時、新卒でリクルートに入社し2年目。祖父母が岩手県陸前高田市にいて、自身にとってもなじみ深い土地だったことから、がれき撤去などのボランティアに参加するようになりました。

震災から3ヶ月経ったころ、カタリバで働く先輩から「大槌町でのコラボ・スクール立ち上げに手を貸してくれないか」と打診を受けました。大学生のころ、地域の子どもたちの学習支援をしていた菅野さん。「被災地の教育現場の話を聞いてみたい」と女川町訪問を即決しました。

そこでのカタリバと町教委との話し合いは菅野さんに衝撃を与えました。「外部のNPOが、被災した地域の人たちとの対話の中から課題を見つけ出し、一緒に解決していくことができるのか……」。大槌に行くことを決意し、東京に戻るや否や、上司に退職願を提出しました。

突然の退職願に驚いた上司や会社幹部から慰留され、特例として4ヶ月間の休職が認められました。菅野さんは会社に籍を置きながら、コラボ・スクール開設というミッションを背負うことになったのです。

困難を経て2011年12月<br />
コラボ・スクール大槌臨学舎<br />
開校
困難を経て2011年12月<br />
コラボ・スクール大槌臨学舎<br />
開校

困難を経て2011年12月
コラボ・スクール大槌臨学舎
開校

大槌に来て早々、地域から厳しい洗礼を受けました。「放課後の学校を開いても、どうせ5人くらいしか来ない」「外部からの支援がなくても、子どもたちは地域で守れる」……“ヨソモノ”の団体への厳しい視線を感じることも少なくありませんでした。

歓迎ムードの中で始まった女川とは対照的な空気。一方で、大槌町の保護者を対象としたアンケートでは、7割が「(コラボ・スクールが開校したら)行かせたい」と回答。女川での様子を見てきた菅野さんには、コラボ・スクールは大槌でも必要とされるに違いないという確信がありました。

しかし、町との話し合いはなかなか進まず、「大槌での開校を何度諦めかけたか分かりません」と振り返る菅野さん。それでも粘り強く協議を続け、ようやく町の集会所を借りる許可が下りたのは、復職の期限が迫る12月初旬でした。

12月13日、「コラボ・スクール大槌臨学舎」は開所の日を迎えました。「5人しか来ない」と言われたコラボ・スクールに、受験を控えた中学3年生80人以上が集まってきました。町内の中3の約3分の2に当たる人数でした。そこから2週間、菅野さんは3人の職員とともに勉強を指導。勉強嫌いな生徒はひたすらほめて、問題が解けたらハイタッチをしてやる気を出させるなど、それぞれの性格に合った方法で伴走しました。

年が明けて2012年1月、菅野さんは職場に復帰。毎週金曜日の夜には夜行バスで大槌へ向かい、土日は勉強を教える生活を続けました。結果、臨学舎に通った生徒は全員、志望校に合格、校長先生からも感謝の電話が掛かってきました。「半年間で自分にできたのは、ひたすら生徒たちを応援すること。みんなの合格の知らせを聞いて本当に安心しました」。

4月から会社の仕事に専念するようになった菅野さんでしたが、約半年後には退社し、カタリバへの転職を決断しました。「もし自分が途中で諦めていたら、大槌のコラボ・スクールは始まらなかったかもしれない。一方で、大きな組織には代わりがいる。自分の仕事がいったい誰を幸せにしているんだろうと考えた時、大槌の子どもたちのために働きたいと思いました」。

マイプロ、はま留学……<br />
行政や地域とともに理想を実現
マイプロ、はま留学……<br />
行政や地域とともに理想を実現

マイプロ、はま留学……
行政や地域とともに理想を実現

2013年4月、1年ぶりの大槌では新しい動きが始まっていました。菅野さんらが受験勉強をサポートした生徒が高校生になり「自分たちも町のために何かやりたい」とスタッフに相談に来たのをきっかけに、当時の町長と高校生の対話の場が作られたのです。

高校生たちの地域への思いは、カタリバの職員や菅野さんの教育に対する考え方を変化させました。「子どもたちが自分の未来を諦めずに生きていくためカタリバは活動してきましたが、大槌の子どもたちは自分の成長ではなく、地域のことを考えている。地域を良くしたいという子どもたちを支えることも教育なんだと気づかされました」、菅野さんはそう振り返ります。

この気づきが、後に全国で展開する探究学習「マイプロジェクト」の誕生につながりました。生徒が身の回りで感じている課題の解決や挑戦してみたいことを“プロジェクト”として立ち上げ、地域の大人の力も借りながら実現していく「マイプロジェクト」は大槌臨学舎の代名詞になり、さらに全国に広がっていったのです。

時間の経過とともに、行政や地域からのまなざしも変化していきました。2018年には菅野さんはカタリバディレクターという立場のまま、町から教育専門官に委嘱され、教委にも席を置くように。町の教育方針を決める教育大綱の策定のために、のべ500人以上の町民との対話を重ねました。

大綱に基づいて2019年度からは県立大槌高校のカリキュラムに「マイプロジェクト」が組み込まれ、生徒全員がプロジェクトを持って活動しています。カタリバもその伴走を担っています。進学や就職のため一度は町を離れることが多い大槌の若者たちだからこそ、マイプロジェクトを通じて高校時代に地域とつながることの意味は大きいと菅野さんは感じています。さらに全国から生徒が集まる大槌高校の「はま留学」の運営など、町、さらに岩手県と連携した取り組みが広がっています。

2011年から大槌の教育に携わってきた菅野さんは、カタリバの存在意義をこう語ります。「行政や地域と一緒に子どもたちのためにやりたいことを探し、実現していくことにカタリバのいる意味がある。表に出なくても黒衣(くろこ)でいい、今はそう思っています」。(2022年6月取材)

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