ココカラオオツチ

「仕事があったから」選んだ大槌
自然体で地域になじむ

北浦知幸さん

北浦知幸さん

きたうら・ともゆき

京都市出身。大学卒業後、関西地方の地方自治体で窓口業務などを担当した後、釜石市へ派遣。2019年に大学院に入学、1年後に自治体職員を退職し、2021年から大槌町地域おこし協力隊に。「ふんわりとしたいい感じの写真」を目指して、愛機の小型カメラを片手に地域の行事などに顔を出している。

北浦知幸さん

全国各地で活躍する移住者がマスコミやさまざまなwebメディア、雑誌で紹介される現在。「地域に貢献したい」「地域で新しいことを始めたい」と意欲的な移住者が注目される一方、2021年に地域おこし協力隊として大槌に移住した北浦知幸さんの理由は「自分に合った仕事があったから」と極めてシンプル。その背景には、仕事とは「やりたいことをやるだけのものではなく、誰かがやるべき仕事を担うことに意義がある」という仕事に対する北浦さんの基本姿勢があります。だからこそ、仕事選びも移住という選択も、背伸びをせず等身大。そんな自然体の北浦さんがありのままでいられる環境が大槌にはありました。

北浦知幸さん
被災地で勤務した2年間を経て、<br />
防災の道へ

被災地で勤務した2年間を経て、
防災の道へ

京都市出身の北浦さんが初めて岩手の地を踏んだのは、東日本大震災から2年経過した2013年春。当時勤めていた関西の自治体から釜石市へ、被災地への応援職員として派遣されたのです。大槌町の南隣の釜石市も津波で大きな被害を受け、全国からの応援職員が業務を支えていました。その一人として市民課の職員として2年間、住民票の受付などの窓口業務や防犯、公共交通に関する業務を担当。「釜石に来るまでは『震災からもう2年』と認識していましたが、実際にはまだまだ復興は進んでいないんだと感じました」と当時を振り返ります。

派遣期間を終え、所属する自治体に戻った北浦さんは、防災、災害時の被害を最小限に食い止める減災、危機管理を担当する部署に配属されました。この防災減災というテーマとの出合いが、後に地域おこし協力隊として大槌に移住するという決断につながりました。

有事に備えた避難訓練の運営、学校現場と連携した子どもたちへの教育活動、講座の開催による住民への啓発活動、そして災害発生時の対策本部の運営や被災者への支援……。防災減災のためのさまざまな事業を企画し、有事の際には住民の命と生活を守るための業務を担ってきました。
仕事を通じて防災や減災の取り組みにかかわるうち、「もっと理解を深めたい」と働きながら大学院で学ぶことを決めました。公務員と大学院生の二足の草鞋。同じように大学院で防災減災を学ぶ公務員の仲間が、人事異動によって担当部署を離れることも。「どこの部署に異動するか分からない公務員として働き続けるよりも、防災に関係する専門性を生かして働き続けたい」。北浦さんは公務員を辞め、防災を仕事にする道を選びました。

「防災・震災伝承への<br />
心理的ハードルを下げたい」<br />
 地域おこし協力隊として働く日々
「防災・震災伝承への<br />
心理的ハードルを下げたい」<br />
 地域おこし協力隊として働く日々

「防災・震災伝承への
心理的ハードルを下げたい」
地域おこし協力隊として働く日々

これまでのキャリアからは、仕事を通じてやりたいことを実現していく前向きな人柄が浮かんできますが、北浦さんはあっさり「自分は防災の仕事が好きなわけではないんです」と一刀両断。

ここにも独自の考え方がありました。「防災や震災伝承への心理的なハードルを下げて、1人でも多くの人に関心を持ってもらわなくてはならない。そのためには、もともと“好きな人”や“興味がある人”ばかりが担っていると、広く伝えていくことはできないと思うんです」。そこに、“好き”なわけではなく、一般的な感覚を持つ自身がかかわる意義を見出しているのです。

そして大学院で学びながら防災にかかわることのできる仕事を探していていた2020年の年末。SNSで偶然目にしたのが、震災伝承の分野で活動する大槌町の地域おこし協力隊の募集記事でした。「住む場所へのこだわりはほとんどなく、仕事の内容で決めました」。

着任後は一般社団法人「おらが大槌夢広場」に所属し、町から受託した「震災伝承プラットフォーム事業」の一環として、語り部育成や教育・研修コンテンツを検討するワーキンググループの運営を担当。

集まった住民がそれぞれの思いや考えを語りやすい場を作り、既存の“伝承”の枠にとらわれない自由な意見交換の中から伝承のあり方を模索しています。「伝承や防災には終わりがない。『これをやれば完ぺき』ということはなくて、より良い方法が常に存在する。だから、この仕事を続けていけるのかもしれません」。

普通の田舎<br />
“人見知り”でも地域とつながれる
普通の田舎<br />
“人見知り”でも地域とつながれる

普通の田舎
“人見知り”でも地域とつながれる

「仕事がある場所ならどこへでも行くつもりでいた」という北浦さん。実際に暮らしてみての大槌の印象は「普通の田舎ですね。鉄道が通っていてスーパーもコンビニもある。特に不自由はありません」。

仕事のことも地域のことも淡々と語る北浦さんは、自称“人見知り”で、自分から積極的に声を掛けるのは得意ではないそう。ですが、着任から数ヶ月経つころには、趣味の写真撮影のセンスの良さがSNSで広まり、町内のさまざまな団体から頼まれて撮影に足を運ぶ機会が増えてきました。意識しているのは“ゆるふわな写真”。「伝承と同じで、写真の世界も自分のようにゆるくふんわりしたスタンスで続けていける人が増えたらいいなあと思います」と話す北浦さん。カメラを介して、地域の人たちとのつながりの輪が広がっています。

「震災伝承に対するハードルを下げるためにも、自分の大槌での暮らしを充実させるためにも、まだ出会っていない地域の人たちと知り合う機会を大切にしていきたいと思っています」。

所属するおらが大槌夢広場でも年下のメンバーたちからも親しみを込めて「北浦くん」と呼ばれ、すっかり打ち解けた様子。いつも自然体で少し不器用な北浦さんだからこそ、面倒見の良い大槌の人たちが放っておけない、そんな存在なのかもしれません。
(2022年6月取材)