ココカラオオツチ

気づけば地元よりも
居心地がよい場所

生利望美さん

生利望美さん

なまり・のぞみ

山口県萩市出身。短大で舞台音響を学んだ後、舞台制作の仕事や地元・萩市でのカフェの経営に携わり、2012年に大槌町に移住。町文化交流センターおしゃっちの運営責任者を務める。ダイビングの資格を生かして、休日には海中の環境を改善させる藻場再生のボランティア活動に参加することも。

生利望美さん

大槌町で人々が集う場所と言えば、多くの町民が思い浮かべるのが町文化交流センター。散歩がてらくつろいでいるお年寄り、下校途中の小中高校生、子育てママたち……、多様な地域の人たちが、ふらりと立ち寄ったり、イベントに集まったり。そんなさまざまな利用者に、人懐っこい笑顔で声をかけるのが生利(なまり)望美さんです。
復興のシンボルとして「おしゃっち」の愛称で親しまれているこの施設の運営責任者を務める生利さんは、東日本大震災からまもなく1年を迎えようとしていた2012年に初めて大槌町を訪れ、それから2ヶ月後にスピード移住しました。明るく茶目っ気のあるキャラクターで、ずっと前から地域に溶け込んでいたように見える彼女ですが、時には壁にぶつかり悩みながら、時間をかけて大槌のなかに心地よい居場所を創り出してきました。

生利望美さん
初めての東北、<br />
半日だけのボランティア

初めての東北、
半日だけのボランティア

2012年1月、初めて降り立った大槌は、凍てつくような寒さで街灯もなく真っ暗でした。ボランティア活動に参加するために、当時暮らしていた地元・山口県から新幹線と在来線を乗り継ぎ、10時間近くかけてようやくたどり着いた大槌町。そこで後に「人生のターニングポイントだったかもしれない」と振り返る出会いが待っていたのです。

翌朝、「カリタス大槌ベース」で目覚めて窓の外を見下ろすと、まわりは建物の基礎だけが残り、色のない景色が広がっていて、「体の震えが止まらなかったのを今も覚えています」。ところが、ボランティア活動は、寒さによる凍結のため、住宅街の側溝の泥出し作業がお昼で終了。「1日かけてここまで来たのに……」と気落ちする生利さんが出会ったのが、震災直後から復興支援の活動を続けている神父でした。

神父さんは、生利さんらボランティアに自分たちの役割について話し、「地域の人たちとともに、ここにいるだけで、そのことに意味がある」と語りました。そして帰り際、「あなたみたいに明るい人が大槌に来てくれたらなあ……」と生利さんに声を掛けて去っていきました。

地域とのつながりを生んだ<br />
「大槌まつり」
地域とのつながりを生んだ<br />
「大槌まつり」

地域とのつながりを生んだ
「大槌まつり」

初めての東北は半日だけのボランティアでしたが、神父との出会いが「大槌で働きたい」という生利さんの気持ちに火を付けました。山口に帰ってすぐ、カリタス大槌ベースに連絡を取り、大槌で働く意志を伝えました。住まいや収入がはっきりとしない中で「仕事を辞めて、大槌に行く」という突然の決断に、家族や周囲の友人たちは猛反対。しかし生利さんに迷いはありませんでした。

大槌で担当することになったのは、全国から来るボランティアの受け入れの対応や、ボランティアが活動する仮設住宅などとの調整。初めて取り組むことばかりで、目の前のことに追われているうちにあっという間に半年ほどが過ぎていきました。

そんな生利さんが大槌の人たちとのつながりを深めていくきっかけになったのが9月の「大槌まつり」でした。祭りの1週間前、「踊りを練習すれば祭りに出られる」と聞き、気軽な気持ちで、四日町手踊りの練習に参加した生利さん。そこで、震災の年は参加が叶わなかった手踊り団体の人たちの祭りにかける気迫に触れました。1週間でマスターするのはとても難しそうに見えました。自分には無理だと辞退しようとしたところ、「手踊りの会長さんから『やるって言ったべだら!最後までやれ!!』と大槌弁で怒られて。それから毎晩、1人で夜中まで必死で練習しました」。

祭りの前日。生利さんの踊りを見て努力の跡を感じ取った会長から、「よく頑張ってくれた」とそろいの半纏を渡されました。以来、毎年の祭りはもちろんのこと、頻繁にお酒を酌み交わす仲に。「あれだけの災害が起こっても、皆がこれだけ大切にしている祭りがあるから大槌の人たちはここで生き続けるんだな」。生利さんが大槌の人たちの気持ちに近づいたできごとでした。

大槌で人と人とが<br />
つながる景色をつくり続ける
大槌で人と人とが<br />
つながる景色をつくり続ける

大槌で人と人とが
つながる景色をつくり続ける

2018年にカリタス大槌べ―スの活動が終了。「山口に帰ろうかな……」と悩む気持ちもありましたが、地域から声を掛けられ、町の「元気なご近所事業」の運営にかかわることに。移住者でありながら、地域の自治会づくりを裏方としてサポートする仕事には、苦労も多く、地域住民との信頼関係を築くのには時間もかかったと言います。

仕事での悩みや迷いから大槌にいる意味を自問自答し、大槌の家を片付けて、沖縄県の小浜島にいる妹のもとに転がり込んだことも。「半年くらいたってやっぱり、大槌に帰りたい、って思って。自分にとって大槌は、生まれ育った地元よりも地元みたいで、居心地が良い場所なんだなと気づきました」。それまでは「地域のために」という気負いや使命感が強かったと振り返る生利さん。一度、地域を離れたことで、肩の力を抜いて純粋に大槌での暮らしを楽しめるようになりました。

その後、2020年からおしゃっちを運営する一般社団法人「おらが大槌夢広場」のメンバーとなった生利さんは、短大で学んだ舞台音響の知識も生かしてコンサートを開催をしたり、災害公営住宅で暮らす人たちが外出するきっかけとなるようなイベントの企画運営も担っています。

「どこで働いていても、そこで見たい景色がある」という生利さん。「おしゃっちという場所で人と人とがつながって円になっていく、そんな景色が見たいんです。大槌の若いメンバーも一緒になってみたい景色をつくっていける。それは今ここでしか、できないことだと思います」(2022年5月取材)