新しい自分に出会えた
内海沙樹さん
うちうみ・さき
大槌町出身。盛岡の専門学校でデザインを学び、大槌に帰郷。アパレルの販売員などを経て、一般社団法人「おらが大槌夢広場」のメンバーとして、大槌への移住定住促進イベントのチラシ制作やwebサイト、SNSサムネイル画像のデザインなどを手がける。ファッションが大好き。両親、愛猫と暮らしている。
新しい自分に出会えた
内海沙樹さん
うちうみ・さき
大槌町出身。盛岡の専門学校でデザインを学び、大槌に帰郷。アパレルの販売員などを経て、一般社団法人「おらが大槌夢広場」のメンバーとして、大槌への移住定住促進イベントのチラシ制作やwebサイト、SNSサムネイル画像のデザインなどを手がける。ファッションが大好き。両親、愛猫と暮らしている。
自身、そして家族の病という出来事を経験し、「大切な人たちがいる場所。それが故郷」と気づいたという内海沙樹さん。憧れのグラフィックデザイナーを目指して地元・大槌を離れて挫折も経験、自身の生き方を見つめ直すうちに、大槌で理想に近い働き方を見つけることができました。
デザイナーを目指し盛岡へ、
評価されるも就活失敗
大槌で生まれ育ち、子どものころから絵を描くことが好きだった内海さんは高校卒業後、グラフィックデザインが学べる盛岡市内の専門学校へ進学。岩手県内や東北規模のポスターコンクールで最優秀賞を受賞するなど、デザイナーになる夢の実現のため懸命に勉強し充実した毎日を送りました。プロのデザイナーから指導を受けるうち、“誰かのためにデザインする”という仕事にますます惹かれるように。一方で、盛岡での暮らしを経験し「大槌には美術館やギャラリーもないし、遊ぶところもない。何もなくてつまらないと思うようになりました」と当時を振り返ります。
そんな内海さんが就職先として東京のデザイン事務所を目指したのは自然な流れでした。ところが、コンクールでは度々高い評価を受けていたにもかかわらず、就職活動に失敗。両親に説得され、大槌に戻ることになりました。
大槌に戻るも葛藤……、
母と自分の病気を転機に
「家族といたい」
専門学校の同級生が東京や盛岡のデザイン事務所でいきいきと働く様子がSNSで流れてくると「なんで私は大槌でくすぶってるんだろう……」と劣等感を感じる日々。アパレルの販売員などの仕事をしながら、時おり、知り合いからの紹介で大槌のイベントのチラシやパッケージのデザインなどを手がけ、デザインへの思いを募らせていきました。
「都会に出てデザインの仕事がしたい」という思いを持ちながらも、大槌を出る決心ができなかったのには理由がありました。20歳のころに発症した甲状腺の病気によって、体調が安定しないことに不安を感じていたのです。
そんなある日、内海さんの仕事が休みで自宅にいた時のこと、朝から体調がすぐれなかった母親が激しい腹痛を訴え、救急搬送された病院でがんが見つかりました。幸い、手術は成功しましたが、今でもその時のことを思い出すと感情があふれ出し涙する内海さん。この時の経験から「家族と一緒に過ごせる時間を大切にしたい」という思いが明確になりました。
母の病をきっかけに人生は有限だということを実感し、投薬治療を続けてきた自身も手術することを決意。「それまでは身体に傷をつけることに抵抗がありましたが、毎日を無駄にしないで生きていくために手術しようと決めたんです」。
やりたいことはどこでもできる
手術は、内海さんに思ってもみなかった精神的な変化をもたらしました。「田舎は嫌だとか、都会じゃないとやりたいことができない、とか固定概念に縛られるのってダサい! ここでやれることをやろう」。母親と自分の手術を経て、大槌で生きていくことを前向きに考えられるようになったのです。
「私はやっぱり、誰かのためにデザインの仕事がしたい」。大切なことがはっきりした内海さんは、手術後の療養期間を経て、新しい仕事探しをスタートさせました。見つけたのが、おらが大槌夢広場の移住定住事務局のメンバー募集の求人でした。事務職の募集でしたが、デザインに対する思いを猛アピール。事務作業だけでなく、事務局で制作する印刷物などのデザインにも業務の一部としてかかわっていけることになりました。
移住定住事務局のメンバーになってから、“自分にとっての大槌”について自問自答することが増えたという内海さん。町外から移住してきたメンバーとの対話から視野が広がり、刺激的な毎日を送っています。
「大槌の持っている資源を魅力的に伝えていくにはデザインの力が必要」だと語る内海さん。「自分のスキルを生かしながら、メンバーと一緒に大槌のモノやコトを磨き上げていくことが今の私の役割だと思っています」(2022年5月取材)
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