震災が生んだ3人の出会い
花道プロジェクト
2011年11月に活動開始。漫画「スラムダンク」の登場人物の名を冠した大会の開催を重ね、2021年に屋外コート「花道パーク」をオープンさせた。ボールは隣の町文化交流センターで借りられる。桜木町で50本の桜の植樹も行った。
http://www.hanamichi.info/
震災が生んだ3人の出会い
花道プロジェクト
2011年11月に活動開始。漫画「スラムダンク」の登場人物の名を冠した大会の開催を重ね、2021年に屋外コート「花道パーク」をオープンさせた。ボールは隣の町文化交流センターで借りられる。桜木町で50本の桜の植樹も行った。
http://www.hanamichi.info/
2011年の東日本大震災。津波はたくさんのものを奪いましたが、震災をきっかけに、出会うはずのなかった人と人とが出会い、そこから大槌で新しいモノやコトが始まりました。バスケットボールを通して大槌ににぎわいを創り出す「花道プロジェクト」もそのひとつ。新たな大会を生み出し、屋外コートを整備し、大槌の新たなムーブメントを創り出しています。
復興後の町を彩る
「花道パーク」
災害公営住宅や公共施設、飲食店……震災後に建てられた新しい建物が並ぶ大槌町の中心部。その一画に3人制バスケットボール専用の屋外コート「花道パーク」があります。鮮やかな青とピンクに彩られたコート。青は大槌の海、ピンクは桜を表現しています。
この日は花道プロジェクトが主催する大会本番。岩手県内外の小中学生から高校生、社会人までさまざまな世代のバスケ好きが集まり、熱戦を繰り広げました。制限時間ぎりぎりまで得点を狙う選手たち、華麗なシュートを食い入るように見つめる子どもたち、わが子の活躍に声援を送る大人たち。2つのコートは歓声と拍手に包まれました。
バスケット好きの有志で作る花道プロジェクトのコアメンバーは、町内で鮮魚店を経営する河合秀保さんと県外から通う矢野アキ子さん、河谷秀行さん。震災の年に3人の出会いがなければ、このコートも大会も生まれなかったかもしれません。
「バスケばか」の町
大槌を元気に
プロジェクトが始動したのは、震災から間もない2011年。広島県からボランティア活動のため何度も訪れていた矢野さんが、大槌町内の桜木町で被災した住宅地の清掃活動に参加したのがきっかけでした。
広島で総菜の製造・販売の事業を経営する矢野さん。片道1300kmの道のりを通ううち、一時の“復興バブル”に沸く被災地の将来が心配になったと言います。復旧・復興が進み、ボランティアや復興事業の関係者が去った後も町がにぎわい、地域経済が活性化していくために何ができるだろうか……そう自問自答するようになりました。
そして思い至ったのが桜木町の桜の花道とバスケットボールを通じて大槌に人を呼び込むことでした。人気漫画「スラムダンク」の大ファンだった矢野さん。「桜木花道」と言えば、誰もが知るスラムダンクの主人公。「バスケと桜で大槌に人を呼ぶしかない!」とひらめきました。継続的に大槌に人の流れを呼び込むコンテンツが必要だと考えたのでした。
そんな矢野さんと意気投合したのが、同じくボランティアとして活動していた映像作家の河谷(かわたに)秀行さん。矢野さんのアイデアに共感し、一緒に活動することを決めました。
まず実施したのは桜木町の住民へのアンケート調査。すぐさま反応したのが、震災前は町内の社会人バスケットボールチームの代表をしていた河合秀保さんでした。被災し、桜木町で仮住まいしていた河合さんは連絡先を書いて回答。すると間髪入れずに矢野さんから連絡があり、3人で会うことに。初めて顔を合わせた3人は「何かやれそう」とそれぞれに直感。町内外から「バスケばか」が集まる大会を定期開催すること、「バスケばか」の町にふさわしい誰でもいつでも自由に使えるコートを作ること、桜木町に花道を作ること……3人の想像や妄想は膨らみました。
「こういう楽しいのを待ってたんだよね」。初対面の別れ際、河合さんがボソッともらしたひと言に、矢野さんは「この人たちの期待は絶対に裏切れない」と覚悟を決めました。2011年11月12日。この日が花道プロジェクト発足の日になりました。
河合さんから話を聞いたバスケチームのメンバーも皆、「いいね!」と背中を押しました。行方不明の家族の捜索や仕事探し、住まいの確保など過酷な日常を生きてきたメンバーの心にも小さな明かりが灯されました。「選手も観客も運営メンバーもその場にいる全員が楽しかったと思える大会を作ろう」。3人の思いが、町内外のバスケ好きやボランティアを巻き込み、動き始めました。
悲願のコートが完成
大会はキャンセル待ちも
2012年5月。「第1回花道杯」の開催にこぎつけました。1年前は避難所だった城山体育館が熱気に包まれました。「こんなに思い切り笑ったのは震災後初めて」。そう言ってバスケを楽しむ若い人たちの笑顔が大人たちにバスケの楽しさを再確認させてくれました。
事務局運営を担ってきた矢野さんや河谷さん、地域で店を営みながらヨソモノのメンバーと一緒にプロジェクトを進めてきた河合さん。それぞれの苦労は数知れず。それでも「バスケで大槌を元気にしたい」。その思いだけで進んできました。
クラウドファンディングなどで約1000万円を集め、悲願だったコートが完成したのは2021年9月。すでに震災から10年がたち、大会は20回以上を重ねていました。最初は参加チームを確保するのもひと苦労でしたが、キャンセル待ちが出るほど大会の名は知られるようになっていました。
その間に、河合さんはコートのすぐそばに新しい店舗を構え、幼かった子どもたちはバスケが好きな若者に成長。当初、10年間かかわったら身を引こうと考えていた矢野さんは、「もうちょっと一緒にやらせて」と他のメンバーに頭を下げて毎回、大会に駆けつけるほどのライフワークになっています。
「大槌を『バスケばか』の町にしたい」。その夢のために突き進んできた花道プロジェクト。全力で楽しみ、夢中になる大人たちの姿が、次の世代の「バスケばか」を育て、人を呼び込み、花道プロジェクトという名のチームは今も成長を続けています。
(2023年8月・10月取材)