ココカラオオツチ

“土の人” × “風の人”
掛け算と官民協働で
地域課題に取り組む

大槌ジビエソーシャルプロジェクト

<「害獣」を「まちの財産に」。>を掲げて2020年に活動を開始。「大槌ジビエサイクル」の取り組みが評価され、第5回ジャパンSDGsアワードなどを受賞。
ソーシャル・ネイチャー・ワークス  https://otsuchi-ogsp.com
MOMIJI https://momiji-gibier.com/

大槌ジビエソーシャルプロジェクト
大槌ジビエソーシャルプロジェクト
“土の人” × “風の人”
掛け算と官民協働で
地域課題に取り組む

大槌ジビエソーシャルプロジェクト

<「害獣」を「まちの財産に」。>を掲げて2020年に活動を開始。「大槌ジビエサイクル」の取り組みが評価され、第5回ジャパンSDGsアワードなどを受賞。
ソーシャル・ネイチャー・ワークス  https://otsuchi-ogsp.com
MOMIJI https://momiji-gibier.com/

岩手県の地域課題解決のモデルになりつつある「大槌ジビエソーシャルプロジェクト」(OGSP)。増えすぎた鹿による農林業被害という課題の解決に官民協働で取り組むこの事業は、生い立ちも考え方もまったく違う2人の出会いから始まりました。大槌で生まれ育ち、大槌を愛する兼澤幸男さんと、課題を抱える地域に飛び込みビジネスの力で解決を目指す藤原朋さん。この“土の人”と“風の人”が出会い、時に衝突し、壁にぶつかりながら歩み始めたOGSPに多くの人が共感し、その輪は広がり続けています。

大槌ジビエソーシャルプロジェクト
帰郷しハンターに。<br />
「奪った命を価値あるものに」

帰郷しハンターに。
「奪った命を価値あるものに」

高校卒業後、タンカーの乗組員として働き、半年間乗船しては1ヶ月間休暇を取る、という生活を送っていた兼澤さん。船を降り帰郷するという決断をしたのは、東日本大震災の津波で行方不明になった母親を早く見つけたいという思いからでした。

震災発生時は海の上にいた兼澤さんが震災から5日後にたどりついた故郷で目にしたのは、変わり果てた大槌のまちでした。妻子の無事は確認できましたが、母親とは連絡が取れないまま。がれきの山となった町の中を捜索し、遺体安置所を回る日々を送り、1年近く探し続けましたが見つからず、親戚から説得されて葬儀を執り行いました。

大槌で生きていくことを決め、地元企業に就職し、復興工事に携わることに。ひさしぶりに根を下ろした大槌は、震災の影響は言うまでもなく、ほかにも変化が起きていました。二ホンジカの被害により離農する農家が急増していたのです。子どものころからずっと、米は父方の実家からもらっていたという兼澤さん。大槌で初めて米を購入し、獣害という地域の課題に直面したのです。

帰郷後、消防団や若手経営者らのグループに参加するようになり、地域とのかかわりを深めていた兼澤さんは、「困っている農家の助けになるなら」と狩猟の世界に足を踏み入れました。狩猟免許を取得し、町の鳥獣害対策の活動に参加するようになりました。

そこで目の当たりにしたのは、獲った鹿は廃棄物処理場に運び込み、焼却処分するという現実。1日で5頭以上捕獲することもあり、獲った頭数は数ヶ月で50頭超。そのころから鹿を撃って捨てることに葛藤を憶えるようになったと言います。「奪った鹿の命を価値のあるものとして活かす方法はないだろうか……」。ハンターから事業家への道を歩み出そうとしていました。

40回の勉強会を経て<br />
「大槌ジビエサイクル」構築へ
40回の勉強会を経て<br />
「大槌ジビエサイクル」構築へ

40回の勉強会を経て
「大槌ジビエサイクル」構築へ

同じころ、町内で鹿の有効利用を考え始めていた男性が他にもいました。町の復興推進隊として移住し、キッチンカーで地域活性化に取り組んでいた藤原さんです。藤原さんは、料理上手で知られた藤原テエ子さんと知り合い、猟師の夫が獲ってきた鹿肉の料理をごちそうになるうち、テエ子さんと話し込むように。テエ子さんは、獲られた鹿のほとんどが処分されている現状を嘆き、「こんなにせつないことはない。どうにかならないものか……」、そう藤原さんに訴えかけました。

震災直後から宮城県石巻市で活動するなかで、ビジネスの力で社会課題を解決する“社会的起業”の考え方に触発され、キッチンカーによる被災地支援やにぎわいづくりに取り組んできた藤原さん。テエ子さんの切実な声を聞き、未活用の鹿という資源を価値に変えられないかと考え始めたのでした。

兼澤さんと藤原さん、それぞれの思いは、相談を受けた町職員や共通の友人を介して2人の耳に届き、藤原さんの発案で、テエ子さんや猟友会関係者、町の鳥獣害対策担当職員らが集まることになりました。その後40回以上の回を重ねる「ジビエ勉強会」の始まりでした。その場には、官民協働でのOGSP立ち上げの立役者となる町職員・佐藤明さんの姿もありました。

参加者全員が、鹿の有効活用の必要性を感じていましたが、これまでは大槌では誰も踏み込んでこなかった課題であり、簡単でないことは目に見えていました。「結局は、誰がやるのかですね」、そう投げかける藤原さん。「おれがやる」と手を挙げたのが兼澤さんでした。2人に共通の使命が生まれた瞬間でした。
勉強会を重ねる中で分かってきたのは、福島第一原発事故の影響による野生鳥獣の出荷制限を岩手県が解除するのは難しいこと、全国に約600件あるジビエ加工場の大半が経営難であること……大槌での鹿の活用にはいくつもの壁が立ちはだかっていることでした。

しかし、兼澤さん、藤原さん、そして2人のエネルギーに動かされた佐藤さん、この3人に、“あきらめる”という選択肢はありませんでした。出荷制限の解除にむけて、鹿肉の流通を所管する農林水産省や岩手県への働きかけを続け、並行して、鹿の活用を軸にして大槌に人やお金の流れを生み出すための計画づくりを進めました。

深夜まで続く議論を繰り返し、編み出したのが「大槌ジビエサイクル」という概念です。鹿肉や皮革を流通させ、それらの商品をきっかけに狩猟や大槌に関心を持った人たちを誘う「大槌ジビエツーリズム」、岩手県内の狩猟者をサポートする「ハンター育成プロジェクト」など、大槌ジビエを核にした循環の骨格を固めていきました。

この事業を持続的なものにするため、町は地方創生推進交付金を活用することを決め、佐藤さんは、行政にとっても深刻な課題である鹿の被害対策を官民協働で解決していくためさらに奔走することになりました。

大槌の若者、地域おこし協力隊<br />
多様なメンバーがともに成長
大槌の若者、地域おこし協力隊<br />
多様なメンバーがともに成長

大槌の若者、地域おこし協力隊
多様なメンバーがともに成長

2020年春。鹿肉の加工や販売を担うMOMIJI株式会社、ジビエサイクル全体の管理やプロモーションなどを担当する株式会社ソーシャル・ネイチャー・ワークスの2社が誕生し、兼澤さん、藤原さんがそれぞれ代表に就きました。勉強会発足時からサポートしてきた及川一輝さんや藤原悟美さんらも正式にOGSPのメンバーに加わりました。

翌年からは地域おこし協力隊や現地採用のメンバーら若手が増え、ハンター育成のための講座の企画運営や、鹿の解体技術の習得に励んでいるほか、週末にはキッチンカーでイベントに出店。豪雨災害の被災地での食事の無償提供など、町外での社会貢献活動も続けています。チームを見守ってきた悟美さんは「年齢や経験に関係なく、それぞれを認め合い、肯定できる組織に成長してきている」とチームの変化を感じています。

「大槌ジビエを地域の産業にしたい」。その思いを持ち続けてきた兼澤さんがうれしかったこと。それは、創業から1年ほどで、大槌出身の道又聖平さんが入社したことです。「地域の若者の雇用は、大槌ジビエが地域に根づいてきた証し」と手応えを感じています。盛岡市の専門学校在学中にジビエの取り組みを知ったという道又さんは「地元の活性化の役に立ちたい」と入社を決意。「品質の高いMOMIJIの鹿肉をまずは大槌で広めていきたい」と語り、解体技術の向上に励んでいます。

小中一貫の大槌学園の「ふるさと科」での食育の授業は兼澤さんのライフワークです。「ビジネスとして成り立たせるところは経営の知識のある藤原くん、大槌に根ざし地域に浸透させる活動は地元出身の自分。得意分野を活かしながら、チームとして成り立っている」と兼澤さん。藤原さんは「全国で少子高齢化が進む中でも、民間と行政が協働で、地域にある課題を資源として事業化していくことは可能。大槌にはまだまだ多くの資源がある」と、すでに次の展開を見据えています。

加工場は規模を拡大する計画で、OGSPは2023年には2社を統合し新体制へ。そのための議論の中で、メンバーがそれぞれの考えを伝え合うことで、OGSPの目指すものが明確になり、信頼関係もさらに深まりました。考え方やスタンスは違っていても、むしろ、違っているからこそ、それぞれの持ち味を活かして、ひとつの課題の解決を目指しともに歩んでいくことができる。個性の際立つ2人からスタートしたOGSPならではの多様性と可能性に満ちた第2章が始まろうとしています。
(2022年8月取材)

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