変わらぬ消防団の精神
大槌町消防団
1888(明治21)年に立ち上がった私設の組織を源流に、1895(明治28)年には前身となる“大槌消防組”が発足。時代とともに変化し、現在の大槌町消防団へ。9代目団長・山﨑幸雄さんは、若手・ベテラン・移住者らで構成される団員約150人の要。
変わらぬ消防団の精神
大槌町消防団
1888(明治21)年に立ち上がった私設の組織を源流に、1895(明治28)年には前身となる“大槌消防組”が発足。時代とともに変化し、現在の大槌町消防団へ。9代目団長・山﨑幸雄さんは、若手・ベテラン・移住者らで構成される団員約150人の要。
「自らの地域は自ら守る」という精神のもと、普段は別の本業を持ちながら、地域に密着した消防防災活動を担う消防団。大槌町におけるその歴史は古く、1888(明治21)年まで遡ります。深い傷を残した東日本大震災を経て、地域を取り巻く様々な課題に直面しながらも、大槌町消防団は今日も、故郷の暮らしと未来を見つめ続けています。
大槌を守る技術と思いを
途絶えさせない
大槌町源水地区・大槌消防署の隣に建つ消防会館は、大槌町消防団の本部。その一角には、歴代消防団長の写真が並びます。
「この人は親父も消防団。この人は息子も孫も、代々消防団。そうやって、続いてきました。私は9代目の団長です」
2024年4月に団長に就任した山﨑幸雄さんは、誇らしげに目を細めました。5つの分団・14の部・それぞれの班からなる団員約150人を束ねます。
平時における消防団の活動は、主に巡回。火災予防運動の期間や、お盆や年末年始などの火災が増える時期にパトロールを行っています。火災発生時や、地震・津波・荒天による警報が発令された際には、サイレンを合図に出動。山火事や行方不明者の捜索には、特に団員たちの協力が欠かせません。「土地勘があり、山を分かっている団員が現場に居ることで、二次災害を防ぐことにも繋がります」。豪雨や台風が増加するこれからの季節は、河川や下水道の見回りも重要。山﨑さんは気を引き締めます。
山﨑さんが入団したのは20代の頃。自宅の向かいに屯所があり「一緒にやるべ」と誘われたことがきっかけでした。先輩たちの動きを目で覚え、背中を追い、時にはお酒も酌み交わす日々。現場での経験を積むにつれ「俺たちが大槌を守らなければ」という思いが芽生えていきました。分団長、本部長、副団長…そして団長となった今。入団から、もうすぐ50年が経とうとしています。
高齢を理由に退く団員も多い中、今年は7人が入団。若手たちの登竜門となるのは、消火の基本となる動きや連携、ポンプ操作のタイムを競う「消防操法大会」です。ベテランからの指導はもちろん、消防署のサポートを受けながら上位入賞を目指します。この日は2年に1度の大会を目前に控え、追い込みの真っただ中。「仕上がりは上々」と嬉しそうな山﨑さん。
「大会で求められる技術は、全て現場に直結する。もちろん『いつか全国大会に』と期待もあるが、順位はあくまで副産物。大会を経験した団員が増えれば、全体の技術が上がり、的確な指導で次の世代を育てることができる。それが、地域の安全に繋がっているんです」
少子高齢化や帰属意識の低下を背景に、消防団の存続と後進の育成は全国的な課題です。近隣では大会出場を見送る団が増えており、大槌町消防団でも何度も議論を重ねてきました。その度に山﨑さんは「一度でも止めれば、途絶えてしまう」と訴え続けています。
3.11“一生忘れない”
全国の消防隊員の姿
消防会館の敷地内に立つ「消防義魂碑」。1934(昭和9)年に団員の冥福を祈って建立されましたが、東日本大震災で倒壊。2020年1月5日に再建されました。
東日本大震災では、逃げ遅れた人の救助や避難誘導にあたっていた団員14人が犠牲に。山﨑さんは、無念の思いを滲ませます。
「まさか、あんな大きな津波が来るとは。みんな、想像もしていなかった。あの人は高齢者を2階に避難させようとしていた、誰々はあそこの水門を閉めに行った…。当時を振り返るたび、今だから言えることや、浮かぶ思いもあります。それぞれが精一杯、自分の役割に向き合っていたことは確かです」
未曾有の大災害を目の当たりにし、被災者でありながら、消防団員として活動し続ける山﨑さんたちを勇気づけたのは、全国から駆け付けた消防隊員の姿でした。
「瓦礫をかき分けたスーパーの駐車場に、全国から来た消防車や救急車が、ズラッと並んだんです。50ぐらい、駆け付けてくれたんじゃないかな。あの光景は一生忘れません」
その中には、大阪や神戸…阪神・淡路大震災で大きな被害を受けた地域の隊員たちの姿も。きっと大槌も、彼らのように立ち上がれる。全国から力を借りて、今、俺たちがやらなければ…。親から、先輩から、仲間から受け継いできた「自らの地域は自ら守る」という消防団の精神が、山﨑さんたち団員を導いたのです。
震災で失った車両や機材はもちろん、防寒着や法被などが全国各地の消防署・消防団から寄贈され、大槌町消防団は復興とともに、少しずつ体制を立て直していきました。
「数年前には、当時駆け付けてくれた隊員さんたちが、大槌の復興状況を見に来てくれたんです。『ずいぶん変わりましたね』と、現場を知る人から笑顔で言ってもらえて、復興を実感することができました。あの時はお互い必死で、挨拶もろくに出来なかったから。十数年ぶりの再会で、初めてゆっくり話ができた。お礼を言えて本当に良かったです」
山﨑さんは改めて、感謝の思いを噛み締めました。当時の支援をきっかけにした交流は、今も続いているそうです。
変化に向き合い、受け入れて
みんな「一緒にやるべ」
消防団存続のため、団員の確保は一番の課題です。消防団の在り方や、地域との関わり方は、時代とともに繰り返し見直されてきました。しかし、家族や仕事を優先できないなど、前時代的な男社会のイメージが根強く、思うように人が増えない状況が続いています。
「毎週訓練をしている訳ではありません。定期的な集まりも、強制ではない。今の時代は、家族や仕事を大事にしてこその消防団。普段は和気あいあいとやっているので、ぜひ雰囲気を見に来てください」
「俺が団長のうちに、あと30人は増やしたいなぁ」と、壁に並ぶ名札を見つめる山﨑さん。
消火の技術を町民に披露する「消防演習」では、幼稚園の子どもたちを招待。幼い頃から親しみ、興味を持ってもらおうという取り組みです。ブラスバンドの経験がある高校生に、ラッパ隊の練習に参加してもらったこともありました。ラッパ隊には女性団員も所属し、式典や行事で活躍中。女性消防団員の存在と重要性は、近年全国的に注目されています。
「背が低いから、筋力が無いからと諦める必要はない。消火栓の場所の把握、交通誘導など、現場では色々な役割が必要です。うちはまだ女性団員が少ないけれど、皆さんならではの目線で一緒に取り組んでほしいです」
そんな中、次第に増えてきたのが地域おこし協力隊ら“移住者”の団員です。きっかけとなるのはやはり、地元事業者や先輩団員からの声かけ。
「ポスターやのぼり旗では、団員は増えない。やはり大事なのは『一緒にやるべ』って誘うこと。気付けばすっかり仲間になっているところも、いつの時代も変わりません。人数は減っていても、地元の若手たちは一生懸命やってくれている。地元民と移住者と、お互いに頼もしさや心強さを感じながら、切磋琢磨していってほしいです」
消防団の活動は、若手同士・移住者同士の情報交換や、多世代の交流を深める場にもなっています。
最後に山﨑さんは、若手団員たちの人生に寄り添い、こう話してくれました。
「長い人生の中で、大槌を去る選択をする団員も出てくるだろう。それでも、終わりではない。別の地域に移り住んだり、自身の故郷に帰ったとしても“消防団に入る”という選択肢を持ち続けてくれるはず。大槌町消防団で覚えた技術や経験を、きっと活かしてくれる。自分たちの町は、自分たちで守る。誰かではなく“自分”なんだと気付く…。大槌町消防団がその“始まり”になれたら、いいんでないかな」
(2024年6月取材)