地域に伝える“大槌の知恵袋”
東京大学大気海洋研究所
大槌沿岸センター
1973年に大槌町に開設。東日本大震災では津波は研究棟3階まで達し、大半の設備が流失した。関係者は全員、無事だった。研究棟の3階部分を改修して研究活動を継続、2018年には高台に新しい研究棟が完成、旧研究棟跡地には「海の勉強室」が建てられた。
http://www.icrc.aori.u-tokyo.ac.jp/
地域に伝える“大槌の知恵袋”
東京大学大気海洋研究所
大槌沿岸センター
1973年に大槌町に開設。東日本大震災では津波は研究棟3階まで達し、大半の設備が流失した。関係者は全員、無事だった。研究棟の3階部分を改修して研究活動を継続、2018年には高台に新しい研究棟が完成、旧研究棟跡地には「海の勉強室」が建てられた。
http://www.icrc.aori.u-tokyo.ac.jp/
大槌町のシンボル蓬来島を見下ろす赤浜地区。東日本大震災で大きな被害を受け、集落全体が高台に移転したこの地区の一画に、東京大学大気海洋研究所・大槌沿岸センターがあります。地域住民や高校生たちから「海洋研」の呼び名で親しまれているこのセンターが地域に密着した研究機関となったのは、実は最近のことだと言います。背景には、震災を受け変化した地域とのかかわりがありました。
12mの津波で被災、
葛藤した研究者たち
センターの前身の東京大学海洋研究所大槌臨海研究センターが、赤浜地区に拠点を構えたのは1973年のこと。大槌を拠点に三陸の海の環境や生物の調査研究が始まりました。
海にかかわるさまざまな分野の第一線で活躍する研究者を輩出してきたセンターは、開所から間もなく40年を迎えようとしていた2011年、大きな試練に見舞われました。12mを超える大津波により、研究棟は3階まで浸水、3隻の調査船や水槽など、ほぼすべての設備が流されてしまったのです。
大学は災害対策本部を設置し、町内の避難所にいた大竹二雄センター長からの要請に応じて、3月16日から被災者のための医薬品や支援物資を届ける支援活動を開始、約7ヶ月間続きました。
大槌の惨状は、センターで研究してきた多くの研究者に衝撃を与えました。東大副学長、社会連携本部長を務める津田敦さんもその一人です。20代のころ、自身の専門であるプランクトンを調査するため、毎年1ヶ月ほど大槌に滞在し、船で沖へ出て海水を採集する日々を送っていました。
震災当時、大気海洋研究所の本所がある千葉県柏市に勤務していた津田さん。海洋学者として「津波の後の海の様子を知りたい」という思いが湧き上がる一方で、「あれだけ多くの人が犠牲になり、残された人たちが必死に生きようとしている町で、研究することが許されるのだろうか……」、そんな葛藤があったと振り返ります。
研究者たちにその使命を思い出させたのは、大学側の動きでした。4月には濱田純一総長が大槌町を訪問、翌月にはセンターの復旧と町の復興のために力を尽くすことを表明し、センターの電気と水道を復旧させたのです。
さらに、時限付き研究室「資源再生分野」 を立ち上げ、津波が生態系に与えた影響を調査し、水産業の復興を支援することも決まりました。大学が大槌を支援する意志を示したことは、研究者が各分野の専門家として震災や津波と向き合おうとする力になりました。
「自分たち研究者はできることをするしかない」。津田さんの研究室のメンバーは5月、大槌に入り、大槌湾の海底に堆積した泥などのサンプル採取に着手。柏での対応に追われていた津田さんも、ようやく7月に大槌に足を運ぶことができました。
調査のために乗船した船の上から見た大槌の町。「あの時の景色は一生忘れない」と津田さんは語ります。一見すると海の中の景色は大きく変わってはいないのに対し、陸に目をやると見知った大槌の町は変わり果て、センターの目の前の防潮堤も無残になぎ倒されていました。「人間の造る構造物はこんなにもろいのか……」、そう実感したと言います。
文・理を越えて大槌の人材育成に取り組む「海と希望の学校」
3階まで津波をかぶったセンターの研究棟は、まずは3階のみを修繕し、研究拠点としての機能を果たし続けることになりました。一方、津田さんは大槌に通ううち、自身の専門分野だけでなく、さまざまな分野の学問の力を融合させて、地域の復興の力になりたいという思いを深めていきました。
同じ思いを持つ研究者の賛同を得て、文系・理系という旧来の垣根を越えて、大気海洋研究所と社会科学研究所が連携しスタートさせたのが「海と希望の学校 in 三陸」です。2018年に始動したこの活動は、ハード面の復興が進む一方で、少子高齢化や過疎化という震災前からの地域課題が顕在化する中で、地域を知り、課題と向き合う人材を育てることを目的に掲げました。
三陸を構成するそれぞれの湾の形や流れ込む河川など地形的要因、そして地形に起因して湾ごとに異なる産業構造や文化、風習……。地域の固有性を伝えることは、生物学、物理学、社会学、民俗学などさまざまな知を動員して初めて実現できることでした。
「地域で育った人材が、地域を知り、未来を考えるための力になりたい」、海と希望の学校の理念を実現させ、地域貢献活動を担うことになったのが、2014年にセンターに着任した青山潤さんでした。ニホンウナギやサケの生態が専門の青山さんは、着任当初、被災地支援や地域貢献といった“研究以外”の活動に取り組むことに戸惑いがあったと振り返ります。
さらに、当初は講演会を開いても参加者が集まらず、センターが地域に浸透していないことを実感することも少なくありませんでした。試行錯誤しながら、商業施設で研究成果を紹介するイベントや、小中学生が海の生き物にふれあう企画など、地域の子どもや子育て世代が気軽に参加できる事業を繰り返し開催しました。また、町の「広報おおつち」での連載、マスメディアを利用した発信など、センターを知ってもらうことにも力を注いできました。
“本気の研究”にふれる機会を
高校生や子どもたちに
2018年には新しい研究棟と宿泊棟が完成。被災した研究棟の跡地には、展示資料館「海の勉強室」がオープンしました。毎年、夏休みには、子ども向けのイベントを開催、若手研究者がウミガメやサケなど海の生き物を紹介したり、ザリガニを解剖して構造を紹介するなどバラエティに富んだ内容で、子どもたちは目を輝かせて参加しています。
海と希望の学校の目玉事業は、毎年夏の「海と希望の学校 on さんてつ」。親子が三陸鉄道車内で海についての授業を受け、センターや大槌の海や川を舞台に、地域固有の資源を知り、現在の三陸の海の環境について学ぶ体験型の学習です。
センターが地域貢献を進めてきたのと同じころ、大槌町内での教育活動も少しずつ地域に開かれていきました。子どもたちが地域の産業や資源を学ぶ機会が増え、大槌高校では2020年に「はま研究会」が発足、センターとの交流が始まりました。
研究会の生徒たちは放課後、毎週3~4日センターに通い、ウミガメの甲羅や水槽を掃除したり、糞の中に含まれる物質の分析に参加したり、調査研究活動に携わっています。あえて日常的な業務の一端を担わせているのは、「本気の研究にふれてほしい」という青山さんの意志によるもの。高校生が親しくなった若手研究者に進路のことを相談するなど日常的な交流も生まれ、大学や短大がない大槌町で、多様なキャリアの選択肢にふれる場としても機能し始めています。
大学を取り巻く時代の変化、そしてセンターが変化してきたことにより、若い研究者の認識も変わってきたと言う青山さん。「研究と学会発表が至上命題だった自分たちとは違い、若い世代は研究も地域連携も同じくらい大切に考えているように見えます」。
震災を契機に、地域とのかかわりを深めてきた大槌沿岸センター。最近では、住民が研究者を訪ねて立ち寄ったり、まちなかで声を掛けられることも増えてきました。「大槌にある研究機関として、海のことはもちろん地域の知恵袋として気軽に訪ねてもらえる存在でいたい」、青山さんはそう語ります。研究と地域連携、この両輪で進んでいくセンターそれ自体が、大槌にとって欠くことのできない地域資源のひとつになっています。(2022年8月取材)