大槌と全国との心の交流
おおつちおばちゃんくらぶ
仮設住宅での手芸サークルを母体に2013年に誕生。15人前後が活動している。「Shake Hand」の由来は、「握手」とshake(ローマ字読みで「鮭」)、hand(手)の2つを意味する。リーダー川原畑洋子さんの夢は「古民家を改装しShake Hand ミュージアムを作ること」。
https://obachanclub.jimdofree.com/
https://www.instagram.com/otsuchi.obachanclub
大槌と全国との心の交流
おおつちおばちゃんくらぶ
仮設住宅での手芸サークルを母体に2013年に誕生。15人前後が活動している。「Shake Hand」の由来は、「握手」とshake(ローマ字読みで「鮭」)、hand(手)の2つを意味する。リーダー川原畑洋子さんの夢は「古民家を改装しShake Hand ミュージアムを作ること」。
https://obachanclub.jimdofree.com/
https://www.instagram.com/otsuchi.obachanclub
大槌の代名詞である鮭と大槌のおばちゃんたちの手仕事によって、全国の人たちと大槌とをつなぐのが、おおつちおばちゃんくらぶによる「Shake Hand」の活動です。無心で針を動かすひと時が、おばちゃんたちの心を癒し、“shake”(鮭)は手から手へ、被災地を想う心をつないでいます。
始まりは仮設の集会所
手芸教室で心の癒しを
津波で被災した医院の仮設診療所だった建物が、手芸サークルのおおつちおばちゃんくらぶの活動拠点。おばちゃんたちが編み物をしたり、縫い物をしたり……。テーブルの上には何台ものミシンが並びます。
週4日の活動日には5,6人のおばちゃんが集まって手芸をし、休憩時間になると、全国から届くお菓子を囲んでコーヒータイム。仮設住宅の集会所での手芸教室をきっかけに始まったおばちゃんくらぶの活動は2013年から続いています。
リーダーの川原畑(かわらはた)洋子さんが手芸教室を始めたのは、東日本大震災の年の冬のこと。自身も自宅を失いましたが、毎日、車で職場に向かう途中に目にするボランティアの姿に「本当にありがたくて。自分も何かできることがないかな、できることで役に立ちたいなと思うようになったの。それがきっかけ」と振り返ります。
おばちゃん手づくりの鮭
全国に放流
手芸が好きで、パッチワークが趣味の川原畑さん。「縫い物が得意なおばちゃんが多いから、仮設住宅で教室を開けば喜ばれるんじゃないかと思って」。友人の協力を得て活動を始めると、さっそく女性たちが集まりました。震災前は別々の地域で暮らし、初めて会う人同士が、布や針と糸を手に、穏やかにくつろぐ時間を過ごしました。
活動を続けるうち、京都在住のテキスタイルデザイナーや染色家の有志から「デザインの力で手伝いたい」と申し出がありました。大槌町の人々に愛される鮭をモチーフにした手仕事で大槌を元気にしたいという提案でした。
鮭は4年目でふるさとの川に帰ります。おばちゃんたちの「私たちも早く(復興した)ふるさとに帰りたい」という想いに寄せて、この出会いから生まれたのが「Shake Hand」です。おばちゃんたちが手のひらサイズの無地の鮭のマスコットを作り、この「ヌード鮭」が全国の人たちの手によって刺繍やペイントを施され、「デコ鮭」に姿を変えて、大槌に戻って来ます。その数は毎年、600匹を数えます。
鮭がつなぐ縁
「私たちの財産」
デコ鮭は1匹1匹、個性豊か。カラフルな糸で彩られた鮭、いくらが縫いつけられた鮭、バナナに見立てて皮を着せられた鮭……。見とれてしまうものから、思わず笑ってしまうものまで多種多様。東北に想いを寄せる俳優や声優もメッセージカードとともにデコ鮭を大槌に帰します。
始まった当初の3年間は京都で展示・販売されてきましたが、4年目にデコ鮭たちが大槌町に帰って来ました。2017年からは毎年3月に町内で展示し、町民の目を楽しませています。
大槌に帰ってきたデコ鮭は新しい出会いを求めて、今度は再び全国へと旅立ちます。来場者とinstagramで高評価の入賞作品以外は販売し、2024年の売上の一部は能登半島地震の被災地に寄付します。
3月が近づき鮭たちが戻ってくる季節になると、全国の人たちが被災地を忘れていないと実感するというおばちゃんたち。「京都をはじめ、全国の人たちと接点が生まれたことが、本当に私たちの財産。Shake Handはたくさんの人たちの縁をつないでくれています」。
(2024年2月取材)