子どもたちの居場所を
大萱生都さん
山田町出身。図書ボランティア「このゆびとまれ」の活動や子ども食堂の運営を担う。大槌町の主任児童委員、教育委員なども務める。お薦めの絵本はたくさんあるが1冊挙げるなら『ピリカ、おかあさんへの旅』(福音館書店)。震災後に救ってくれた絵本は『あさになったのでまどをあけますよ』(偕成社)。
子どもたちの居場所を
大萱生都さん
山田町出身。図書ボランティア「このゆびとまれ」の活動や子ども食堂の運営を担う。大槌町の主任児童委員、教育委員なども務める。お薦めの絵本はたくさんあるが1冊挙げるなら『ピリカ、おかあさんへの旅』(福音館書店)。震災後に救ってくれた絵本は『あさになったのでまどをあけますよ』(偕成社)。
朗らかな笑い声と満面の笑顔。その場にいるだけでなんだか周りが明るくなる。大萱生(おおがゆう)都さんは、大槌を柔らかな光で照らす太陽のような存在です。図書ボランティアの活動や子ども食堂の運営を通して、子どもたちからお年寄りまで大槌のさまざまな人たちに地域の中での居場所を作っています。
絵本と出会う
「このゆびとまれ」
大槌町の中心部にある大念寺。重厚な瓦屋根の山門をくぐり、本堂隣の建物を覗くと、その一室には壁一面の本棚にたくさんの絵本が並んでいます。畳ではなくフローリングに、ピアノも置かれていて、お寺というよりはまるで保育園のような空間。ここが大萱生さんたち図書ボランティア「このゆびとまれ」の活動拠点です。
大槌町の北隣・山田町出身の大萱生さんは、保育士として働いていたころ、この寺の住職の修明さんと知り合い、結婚しました。読み聞かせのために買い集めた500冊の絵本が嫁入り道具。2001年に退職すると、大槌の子どもたちが絵本に触れる機会を増やそうと、寺に来た親子に読み聞かせをしたり、本を貸し出したりするように。今につながる「このゆびとまれ」の始まりでした。
お寺のあたりは古くからのコミュニティが残っていた地域で、町立大槌小学校もありました。住民たちは、校庭に花を植えたり、登下校の子どもたちを見守ったりと、積極的に学校運営に参加。大萱生さんも「このゆびとまれ」のメンバーとともに、図書室を四季折々のテーマで飾りつけ、学校から依頼を受けて、毎週木曜日の「このゆびとまれJr」の活動もスタート。子どもたちも読み聞かせの発表などに取り組みました。
夏休みにはお寺で「お楽しみ会」。子どもたちが集まってバーベキューや花火、スイカ割りをして一緒に遊び、近所の人たちが手づくりのおやつを差し入れ。大念寺と「このゆびとまれ」の活動が子どもたちの自由な居場所として息づき始めました。子どもたちと過ごし、一緒に本を囲む活動は大萱生さんのライフワークになっていきました。
震災3ヶ月後に再開
読み聞かせの力を実感
子どもたちと本と大萱生さんの穏やかな日常は、東日本大震災の大津波によって失われてしまいました。小学校まで津波が押し寄せ、大念寺も山門の目の前までがれきに埋め尽くされ、背後に山火事の火の手が迫りました。
間一髪で津波と火災から免れた後、お寺は何十人もの町民の避難所になりました。大萱生さん一家も避難してきた人たちと一緒に、裏山の水を汲み、薪や炭で煮炊きをして、食事を作り、生き延びました。「毎日生きるのに必死だった」と振り返ります。
町中で行方不明者の捜索が続く一方、本堂には犠牲者の遺骨が増えていきました。「朝、目が覚めた瞬間、津波は夢だったんじゃないかと思って障子を開けて現実に引き戻される」。そんな毎日でした。
町外に避難した人たちも多く、「このゆびとまれJr」の子どもたちの安否も分からないまま。毎週木曜日になると、心配とさみしさで胸がいっぱいになった大萱生さんは、5月に入り、活動を再開しようと決めました。
最初は数人しか来られませんでしたが、仮設住宅も建ち始め、被災した町民の暮らしが落ち着き始めるにつれ、少しずつ子どもたちの数も増えていきました。
仮設商店街のイベントなどに招かれて、子どもたちが読み聞かせをする機会が増え、本番に向けて本を選んだり、読む練習をしたりと子どもたちは張り切りました。きょうだいで喧嘩ばかりする子も一緒に活動する年下の子には優しくできる。本を通して子ども同士がふれ合い成長する姿は大人たちがこの活動を続ける原動力です。
「1人の“読書”ではなく、家族や友だち、仲間と本の世界の中で共感しながら想像を広げることが大事なんだと私自身が学ばせてもらいました」と読み聞かせの力を語る大萱生さん。自身が震災後に出会い救われた絵本を本棚に並べ、誰でも手に取れるようにしています。
多様な人材のエネルギーが
子どもたちの刺激になる
大萱生さんの活動は図書ボランティアにとどまりません。さまざまな家庭環境の子どもたちに温かい料理を食べてもらうため、毎月1回の子ども食堂を開いています。子どもだけでなく近くの災害公営住宅に暮らす人たちも顔を出す「地域食堂」。普段は小食な人でも「皆と一緒だと食べられる」と好評で、お年寄りは元気な子どもたちの食欲に目を細め、まるで大きな家族のようです。
少子高齢化が進む大槌町ですが、「決して悲観していないんです」と言い切るのは、ないものねだりではなく、大槌に今ある資源に目を向けているから。そのひとつが震災後に大槌に来た移住者の存在。「多様な人たちが大槌に来てくれたことが刺激になって、中学生や高校生は変わってきている」と実感しています。
「子どもは、食べ物やおもちゃ、本だけでは育たない。大人がいないと育たない。だからこそ、昔から大槌に根づいている思いやりの心と外から来た人のエネルギーを掛け合わせて、地域で子どもたちを育てていきたい」
(2023年12月取材)