ココカラオオツチ

大槌で月日を重ね
地域を頼れる自分になれた

菅野祐太さん

かんの・ゆうた

東京都出身。カタリバディレクター。町教育委員会教育専門官、大槌高校カリキュラム開発等専門家、岩手県高校魅力化プロデューサーを兼務。趣味は、読書のほか、大槌町と山田町の境にある鯨山に1人で登ること、町内のジムでの筋トレ。

菅野祐太さん
菅野祐太さん
大槌で月日を重ね
地域を頼れる自分になれた

菅野祐太さん

かんの・ゆうた

東京都出身。カタリバディレクター。町教育委員会教育専門官、大槌高校カリキュラム開発等専門家、岩手県高校魅力化プロデューサーを兼務。趣味は、読書のほか、大槌町と山田町の境にある鯨山に1人で登ること、町内のジムでの筋トレ。

東日本大震災の年、大槌町に長期滞在して放課後学校「コラボスクール大槌臨学舎」創設に奔走した菅野祐太さん。2013年には大手企業を退社し、大槌町に移住。コラボスクールを運営する認定NPO法人「カタリバ」の枠にとどまらず、大槌町教育委員会にも籍を置き、さらには県立大槌高校の魅力化事業も担うなど、大槌の教育に欠くことのことのできない存在です。

菅野祐太さん
被災地で課題に向き合い、<br />
貢献し成長したい

被災地で課題に向き合い、
貢献し成長したい

菅野さんが教育にかかわるようになったのは大学時代。子どものころ、どうしたらいじめに遭わずに過ごせるか考えながら学校生活を送った経験から「子どもたちがもっと安心して居心地よく過ごせる学校にしたい」と小学校の教員を目指すように。大学から近い東京・新大久保で、外国にルーツを持つ子どもたちの学習指導のボランティアに携わり、学校以外で学ぶ機会の重要性を実感したと言います。

「教育現場に身を置く前にもっと広く社会を知りたい」と考え、新卒の就職先に選んだのはリクルートでした。スキルが身についていく充実感、その一方で巨大な組織の中で働くことへの葛藤も感じ始めていた入社2年目の終わり、東日本大震災が発生しました。

祖父母が岩手県陸前高田市にいたことから、ボランティアに通うようになった菅野さんのもとに、カタリバで働く大学時代の先輩から「大槌町での子どもたちの居場所づくりを手伝ってくれないか」という電話が掛かってきました。まずは「東北の被災地の教育現場の声を聴いてみたい」と、宮城県女川町を訪問することに。そこでは、カタリバのメンバーと女川町教育委員会の職員とが一緒になって、被災した子どもたちに学びを取り戻すために動き出していました。

「まだ解決策の分からない課題と向き合うことで、被災地に貢献し、自分も成長できるはずだ」。女川で目にした光景に触発された菅野さんは、4ヶ月の期限付きで会社を休職し、大槌でのコラボスクール立ち上げのために奔走することを決意しました。

想像を超える苦労の末、開所にこぎつけ、一度は職場に復帰しましたが、その後退職。2013年に正式にカタリバの一員となりました。以来、コラボスクール大槌臨学舎の校舎長の立場で、放課後の学習のサポートや、子どもたちが地域にかかわる「マイプロジェクト」の伴走などを担ってきました。

カタリバの枠を越え、<br />
教育行政へ<br />
「大槌の教育を支えたい」
カタリバの枠を越え、<br />
教育行政へ<br />
「大槌の教育を支えたい」

カタリバの枠を越え、
教育行政へ
「大槌の教育を支えたい」

当初は、“ヨソモノ”の事業と見られがちだったカタリバでしたが、コラボスクールに通う子どもたちが増え、その存在が知られるにつれて、少しずつ行政から相談を受けることも増えていきました。菅野さんは、大槌の子どもたちの思いや悩みに耳を傾け、行政の課題についての理解を深めるうちに、行政や学校、地域と連携を深め、町全体が一体となって、教育に取り組んでいく必要性を実感するようになっていきました。

そんな菅野さんの思いを受け止めてくれたのは、震災の後、町教育長として教育改革を先導してきた伊藤正治さんでした。小中一貫校や「ふるさと科」の設置を実現させ、コラボスクール開設のころから幾度となく語り合ってきた伊藤さんは、菅野さんが尊敬する教育者。「教育行政の内側から大槌の教育を支えるために、教育委員会に配属してほしい」と頭を下げる菅野さんに大槌の教育を託そうと決断。町長に直談判し、教育委員会に「教育専門官」という職を創設、異例の配置を実現しました。

カタリバに籍を置きながら教委に出向、という異例の形で大槌の教育行政にかかわるようになった菅野さんが、伊藤さんとともに取り組んだのは、町の教育の方針を決める「教育大綱」の策定。町民の思いに耳を傾け、対話するという策定の過程を重視し、町内各地で10回以上の対話の場を設け、500人以上の声を聴きました。

さらに、生徒数が減少していた県立大槌高校のカリキュラムを充実させるため、岩手県高校魅力化プロデューサーという職も担うことになり、高校まで含めた大槌の教育全体にかかわる立場になりました。

大槌に“いること”から学び、<br />
日々を楽しむ
大槌に“いること”から学び、<br />
日々を楽しむ

大槌に“いること”から学び、
日々を楽しむ

立場を少しずつ変えながらも、大槌の教育に向き合い続ける菅野さん。目的に向かって、常に先を見通し、方策を講じてきたように見えますが、意外にも「目的だけを見続けていた時期は、大槌にいることがつらくなりかけていた」と明かします。「目的に縛られず、ここにいること自体に学びがあると思えるようになったことで、大槌にいることを楽しめるようになりました」。

例えば、毎回、神輿を担ぎ続けている大槌まつりや地域の草刈り、地元の人たちとの飲み会……。「『仕事に関係ない』と思わずに参加してみることで、地域の良さや新しいことに気づくことができた」と振り返ります。大勢で神輿を担ぎ町内を練り歩く経験を重ねるうち「自分だけでやらなくていいんだ、もっと地域の人たちに頼っていいんだ」。肩の力が抜けていきました。

ヨソモノとして地域に飛び込み、課題を解決することを目指した20代を経て、背負ってきた使命感から自由になった菅野さん。時の流れとともに、自身のあり方を変化させ、地域とのかかわりを深めてきたからこそ、地域の人たちとひとつになって、“大槌の教育”という大きな神輿を担げるようになったのかもしれません。

【 関連記事は下記よりご覧ください 】

▶︎認定NPO法人 カタリバ

おおつち暮らしのリアルを配信中!
Instagram Twitter Facebook